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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

社会人メルトダウン

2017年になり、贋会社員という「ウォーキング付きベーシック・インカム」稼業を渋々再開して感じるのは「社会人」の終わりである。

冷戦終結から日本の社会人主義崩壊まで四半世紀もかかった。取り返しのつかない絶望である。

日本語の「社会人」は、英語にも中国語にも訳せない。説明にも困る。辞書ではこう定義されている。

しゃかいじん【社会人】
①学校や家庭などの保護から自立して、実社会で生活する人。「卒業して━となる」
②(スポーツなどで)プロや学生ではなく、企業に籍を置いていること。
③社会を構成している一人の人間。
大辞林 第三版

敗戦後の日本社会では、②の意味が、スポーツなどに限らず全ての日本人にとって重要な意味を持った。

「社会人」とは、「家長が企業や役所に籍を置く構成員」である。

この意味における「社会人」がドロドロに腐って溶け始めている。例えば東芝は、連結で187,809人、単独で36,601人の「社会人」から成る会社だが、下手をすると原子力関連事業の特損で債務超過となり、「社会人」の器である会社そのものがなくなってしまう。

「社会人」が無に帰せば、組織の秩序も無効となる。組織の内的営みは、昭和20年の軍部の如く虚しい。大組織で今現在も繰り広げられるしょうもない内部闘争は時間の無駄だ。

「社会人」システムは江戸時代からずっと連続しているもので、裏で支えて来た精神的柱こそが「朱子学カルト」(よく言えば武士道)である。

「社会人」メルトダウンとは「朱子学カルト」のお終いだ。つまり、「五倫」が否定され、あちこちでホーム・グロウンの反朱子学テロが勃発する。

君臣の義を無にする下克上、父子の親を蔑ろにする冷血、夫婦の別どころか婚姻の拒絶、長幼の序の頑な無視、朋友の信の裏切りである。

己っちの「仕事に心を込めない」「同僚に目をかけない」「朱子学カルト組織に腹で背く」は、五倫の完全否定である。

社会人がメルトダウンするまで、己っちのローン・ウルフの闘いは続く。