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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

「生き方」と「死に方」

人はついつい「死に方」のことを、あたかも「生き方」のことだと信じ込んでしまうことがある。

例えば、「酒場放浪」は「生き方」ではなく「死に方」である。アルコールが人生を彩るなぞというのは、権力者や政商、徴税役人、豪商による政略に他ならない。ひとり酒場を訪れ、代金の殆どが税金と店の賃料でしかない酒を飲むことが「生き方」なんて悲しいではないか。そりゃただの「死に方」だ。

大学に入って酒の味を覚える以上に、酒を媒介した日本陸軍的なカルト・ヒエラルキーに組み込まれ、疑いもなく社会人になるべく会社に入って、資本家や株主やその走狗である幹部にいいように人生を盗まれることもまた、「生き方」ではなく、むしろ「死に方」に近い。

国民的アイドルも結局は、事務所や広告主という「鵜飼」に操られ、生涯魚を食べ吐きしたあげく、自由にコンビニに出かけることもできないわけで、これも「生き方」なのか「死に方」なのかわからない。

大リーグでたくさん年俸を稼いでるメジャーリーガーと、古代ローマで皇帝の暇潰しに闘拳をしていた奴隷との差異もよくわからない。ともに「死に方」に属するのでは? と疑ってしまう。

世間の「生き方」の多くは、己っちには「死に方」に聴こえる。忠義、忠孝といった儒教的「生き方」は、年長者に尽くす「死に方」でしかない。

己っちの「生き方」とは、仕事に心を込めず、同僚にはいっさい目をかけず、カルトなヒエラルキーには腹で背く、というもの。

「生き方」と「死に方」は混同しやすいから、時々冷静になることが大切だ。