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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

脱洗脳のメディア・リテラシー

Googleで自力検索するよりもSNSやAIにサジェストされることで情報を得る時代になっている。

己っちが若い頃は、電博のクリエーティブやフジテレビのプロデューサーやマガジンハウスの編集が、SNSやAIの原始的な機能だったのだけれど、いまのアルゴリズムはかつての人力より遙かに数学的なおかつ匿名的で、物凄くおっかない。

メディア・リテラシーを考えるなら義務教育から根本的に考え直さないと丸で意味がないし、なんと言っても、アルコールを非合法にしなければ、真のリテラシーなど身に付かない。義務教育とは国民国家による精神的麻酔に他ならず、アルコールは国民国家への不満をガス抜きする身体的麻酔である。

国民国家の終わりにいる我々がメディア・リテラシーを高めるためには、次のことに留意すべきである。でないとドナルド・トランプを崇め奉るレッドネックと大差なくなってしまう。

匿名や数学的な処理をされた情報は危ない。然るべき個人見解を重視すべきである。重んじるべき個人見解の筆頭は、リベラルアーツの古典である。所謂巨人の肩の上に乗る、これが一番間違いない。

存命人の知見を得るのも、彼の書籍や講演、ニコ動など個人が意見を自由に述べられる機会に限るべきだ。まともな知識人は例外なく、地上波テレビや大新聞に出演、寄稿しない人ばかりだ。なぜなら、マスメディアのプロデューサーや編集という20世紀的な情報看守に自己主張を骨抜きにされてしまうからだ。

詩歌や文学が貴重であるのは、20世紀の情報看守にあんまり検閲を受けていないからで、マスメディアやアルコール、宗教や教育といった麻酔から自由であるからだ。