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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

長幼の序を捨てて生きる

儒教には五つの人間関係のきまりがあって、どれもいまの日本に濃く残っていて、そのひとつが「長幼の序」である。

己っちは、端から「長幼の序」をまったく重視しない。なぜか? そういう教育を全然受けてこなかったからなのだ。酒乱の父を尻目に、この境遇から逃れるには学をつけるしかないと独り決めして、狭くて汚い実家で耳栓替わりに綿を詰めて勉学に励んでいたので、父を尊敬する観念がまったくない。

大学に入っても、単に先に生まれただけなのに偉そうにする奴らを、蔑んでいた。大学とは、己っちにとってはただ単に、社会人予備校でしかなかったなと反吐が出る思いである。大学を出て良かったのは、履歴書映えする学歴を手にしたこと、一生その図書館を低額で使えることくらい。

社会人になっても、上を上と思わない人間であった。だから組織から目を付けられて、やれユニークだねだの、自由だね、だの嫌味ばかりであった。

新卒で入った会社を七年で辞めて、その先は表面だけ会社員、つまりは贋会社員で通している。封建制度が色濃く残る日本では、会社に帰属している方が生きやすい、ただそれだけの隠れ蓑である。

だから今でも、年長者への敬意、が丸でない。年長など決してそれだけで敬わない。知ったことではないし、同僚など家族でも仲間でもないので、20フレーズくらいの定型文を組み合わせて、適当にあしらっている。

長幼の序なんてくだらねえ。人間関係でいの一番に捨てるべきものだ。バッカじゃねーの。