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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

無関係、無縁でありたい

もののたはむれ


松浦寿輝のこの短編集に「並木」というはなしがある。

主人公の 榎田が日暮里あたりの古い喫茶店に通うようになる。二階で独り煙草を燻らせていると、かつて馴染みの薄い親戚の通夜に出向き、がらんとした小部屋で独り煙草を吸ったことを回想するのだが、そのシーンが己っちには印象深い。

みんなが黒い服を着て集まってくるのも自分がここでこうして煙草を吸っているのも死んでしまった者には無関係なことではないか。ましてやこの皓皓と差し込んでくる月光の豊かな表情は誰が死のうと生きようとまったく無縁のままでただそこにあるなどといったやや冷淡な感想も浮かんできたのは、その死者が榎田にとっては生前はほとんど面識もないまま終わった人だったせいかもしれない。そしてこの「無関係」とか「無縁」というのは冷淡だの冷酷だなというよりもむしろ爽やかそのものの魂の状態であるように榎田には思われた。

無関係とか無縁であることは、日本ではよくないとされる。組織や集団で浮いてしまうことや孤立することは避けなければならないことであり、少しでも人間関係に音を上げれば、仲間や上下とうまくやれ、逃げるな、負けるな、頑張れとなる。

しかしながら元来は無関係や無縁というのは、清々しい、爽やかなことなのだ。朱子学カルトは無関係や無縁を強く禁ずるが、己っちは丸で気にしない。私淑してやまない深沢七郎にも通ずる思想である。

絆などという手垢にまみれた言葉を振りかざされるより、余程己っちの心は澄み渡る。丸でFacebookをやらないのは、無関係や無縁であるべき過去の他人と繋がってしまうことが心底嫌だからで、あんなものはディアスポラの道具でしかないと思うのだ。

己っちは独り寂しく、すっきりとした心持ちで老いて死んでいきたい。