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徒手空拳日記

持たざる移動を追い求める手ぶら評論家。 手ぶらを、いつか当たり前のウォーク・スタイルにする。 人の行く裏に道あり花の山(利久)

武士道より浪人

徳川時代が、なぜあんなに長続きしたのかといえば、それはやはり、武士(もののふ)という、下が上を討つ戦争というものをする身分の人々に、官僚の従順さを植え付けることに成功したからだろう。

体制が安定してくると、徳川家は武士に朱子学の心を植え付けて、組織への忠誠心や忠義心をこそ、武士の美学として、深く深く洗脳したのだ。

儒教そのものが、そもそも武士の存在と矛盾するのに、戦争のない平和な時代の武士たちは、こぞって組織ごっこという官僚制の武士道を追い求めることで立身出世を競い合ったのである。

哀れなるかな、である。武士道の先に、大日本帝国陸海軍の武士道精神が繋がっており、武士道に唆され、日本は原爆を2発も落とされたのだ。

組織の走狗となることこそ、生きる道の両手を自ら過重な荷物で埋めてしまうことに他ならない。

手ぶらで生きるとは、儒学を根っことする組織ごっこの洗脳から、己の心を解き放つことである。

徒手空拳で生きるとは、己ひとつでなんとかすることであり、その喜びを等身大の身体に引き止めることに他ならない。

組織の洗脳に染まることは結局、使い走りの四つ足、つまりは走狗となって生きることになる。「リスク」を危険とだけ認識し、ひたすら保身や責任転嫁に励んで他人から恨まれたり嫌われたりする人間にはなりたくない。

理路を整え、ひとり正しく生きる。そのためにも己っちは常に両手を空けておきたいのである。