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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

無駄な仕事はしない

未来のこと覚えておくのが面倒なので、あらゆることをEvernoteのリマインダーに頼っている。過去のことを完全に忘れるのと、未来の、特に細々した未来を忘れるのが特に大事だと思う。

Eメールも、自分がTOではなくCCに設定されて送られてくるメールは基本いっさい読まずに自動既読処理してひたすらメールフォルダに溜まっていく。Eメールに時間を使わないのも、現在にフォーカスする為に有効だ。Eメールも結局、過去と未来でしかない。

CCメールは読まなくても後で困ることはほとんどない。つまり、無駄なのである。読んでなくて困った時だけサルベージして読めばいい。

無駄なメール「だけを」なきものにする為に、フィルターのルール設定を面倒臭がらずコツコツ続けるのがポイント。メールチェックそのものよりも、ルール設定に時間をかけているくらいだ。

返信はほとんどiPhone。しかもSiriで音声入力。キーボード使わない方が内容が簡潔になる。Siriで変換されにくい頻出単語は、iPhone のアドレス帳に人名として登録するとサクサク変換できるようになる。

つまりスケジューリングとかEメールは、雑用に過ぎない。雑用を仕事だと考えてしまうと本当の仕事が消えてしまう。本当の仕事とは信用と金を実際に増やすものだ。信用と金を増やさない仕事は、仕事ではない。雑用に無駄な時間使うくらいなら寝てた方がいい。

実際、私はめちゃくちゃよく寝てる。7〜8時間は寝てる。寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。

 

 

 

 

 

 

 

朱子学カルトのリーダー論

最近、50代まで勝ち抜いたおっさんがむりくり辞めさせられて晒し者になるケースが増えている。大企業とか財務省だけじゃなく、あちこちで似たような引きずりおろしが起きてる気がする。

いま50代後半ってことは、ちょうど日本がバブルへと向かう時代に社会人になった人達なんだけど、最近TVに映るエリート階層の態度をみてると、やっぱりパーフェクトに朱子学カルトだなあと思う。

団塊世代が中間管理職だった頃の新入社員だから、団塊世代の薫陶を受けた各位だけに、みんな受け答えがハキハキしてる。反応が早い。とにかく明るく元気じゃないと出世できない。

社会人の最初の10年をイケイケの好景気で通り抜けたから、TVに出てくる彼らから推察するに、かなりノリが良さそう。きっと部下と一緒にいる時は、ちょっぴりエッチな話題も「言葉遊び」として楽しむリーダーなんだろう。この数年でちょっぴりエッチな「言葉遊び」が相手に録音されて晒される時代になっても、もはやノリというよりはアイデンティティだから、修正できない。

組織運営やリーダーシップに、まだまだアルコールがつきものの世代。酒宴と政治が密着していそう。冷戦期は経済がひたすら成長していたから、特別に難しい問題もなかったろう。のうのうと酒飲んで鍔迫り合いしてれば、アルコールの抜けない頭でもなんとかなった。

でも最近の仕事は、物凄い複雑な関数をとかなきゃならないから、毎晩飲んでたら仕事にならない。

組織は60年で腐ると言われる。明治維新から約60年で敗戦、敗戦から約60年で経済的敗戦、そしていま、政官財の朱子学カルトリーダー達が総崩れになっている。

 

自己諧謔という朱子学カルト

「働くパパママ」川柳 大賞は「ワンオペも 逆手に取れば ひとりじめ」(ITmedia ビジネスオンライン) - Yahoo!ニュース

これがちょっと炎上気味だけど、常々「ホニャララ川柳コンテスト」に虫唾が走る。

「働くパパママ川柳」──なんでこんなのやってるのか意味不明だけど、最優秀賞は「ワンオペも 逆手に取れば ひとりじめ」ってやつで、ワンオペに耐えていい方に解釈する姿勢を奨励しているところが、主催者や選考者の根本的な無理解や勘違い「まず仕事ありき」を雄弁に語ってしまっている。これじゃ持続可能じゃないじゃん。

それから、生保屋が毎年やってるサラリーマン川柳も、ほんと勘弁してほしい。

「優秀」とされるクソ川柳に共通する自己諧謔とは、要するに、自分を馬鹿扱いすることで出る杭にならず、権力者に目をつけられないようにするとか、相手を油断させて点数稼ぎをするという、面妖な朱子学カルト基本動作に他ならない。

例えば、「効率化 進めてきづく 俺が無駄」みたいなサラリーマン川柳は、典型的な朱子学カルト思想で、とことん無能を装うことで、社会人としての生存を得ようとする見え透いた浅ましさがフルパワーで感じ取れる。

①とにかく明るく元気にしておけ②ノリノリで時にはエロも受け容れろ③徹底して無私無欲、無能であれ──朱子学カルトは、結局この3つの無言の強制に集約されるのだけれど、クソ川柳コンテストでとことん競わされるのは、③徹底して無私無欲、無能であれ、である。

ユーモアと卑下の区別がつかない人間は、権力に利用されてもヘラヘラしてやがる。

冒頭の働くパパママも、ワンオペのつらみを「テヘペロッ」と自己諧謔で乗り切る健気さこそ、下々の生きる知恵なんだよと上から小馬鹿にしているから、炎上しているのではないか。

手ぶら最新状況

Amazonプライムで「笑うセールスマン」をみると、80年代後半〜90年代のサラリーマンは、鞄を持っていない(このアニメ、今も色褪せない批評性が凄く面白くて、ついコンプリート視聴してしまう)。

そう言えば私が大学を出てリーマンになった頃はかなりの割合で手ぶら派が多かった。「手ぶら寸前」として、会社の封筒を持って出社する謎のスタイルも多かった。

携帯もインターネットもない時代、持ち物は雑誌や新聞くらいだった。雑誌の表4(裏表紙)広告の値段が高かったのは、人が雑誌をそのまんま街中を持ち歩いていたからだ。

社会人が鞄持つようになったのは平成不況以降、鞄を持つことで真面目を演出するため。これもチンケな「正義」。

チンケな「正義」がエスカレートして、最近の社会人は鞄が大き過ぎると思う。みんなそんなに何を持ち歩いているのか。歩きながら、電車で立ったまんまスマホを見たいから、ショルダータイプでマチの大きな鞄ばかりになり、混雑したなかでは本当に邪魔くさい。リュックも最近どんどん巨大化している気がする。

私の手ぶらは世の中に逆行、どんどん軽く小さくなっている。

ジャケットやパンツのポケットが膨れるようなものは持たない。現金も全然持たない。紙のメモはポストイットに集約。

「迷ったら持たない」「持っているのに3日使わなかったら持たない」を徹底している。

それでもなお、クレジットカードや社員証のプラスティックカードは数枚は持たざるを得ない。本当は、カードなんてもう一枚も持ちたくない。カードを持っているうちは、結局のところ社会人なのだと思い知らされる。

日本は紙の手帳や文房具がまだまだ多いけど、久し振りに大きな文具店に行ってみると、売り場にもうあまり人はいない。紙の文具がいらなくなれば、鞄も徐々に売れかなくなるかもしれない。チンケな「正義」なんてすぐに変わる。

 

 

休日は社会の外へ

筋トレからのサウナ。筋トレにせよサウナにせよ、毎回仮説を立てて少しずつ改善を続けることがとにかく面白い。

ノンバーバルな体験に、言葉というデジタルを加えることですぐに反応が変わるから楽しくなる。

例えば銭湯のスチームサウナも、私しかサウナにいないときは、センサーに水を少しかけることで自由に温度を上げられることを学んで、ハード目に整えることも覚えた。

DAISOで買ったウォータープルーフのメモ帳と油性ボールペンで、風呂のなかでも文字を書けるようになった。

風呂にいるといろんなことを思いつくので、なんとかして記録方法が欲しかった。脱衣場まで戻ってスマホにメモするのはだるすぎる。

休日の良さとは、なんといっても社会から遠く離れることができるところだ。平日は、当たり前だが社会と強く関わらざるを得ない。電車に乗ればぽっぽ屋のチンケな「正義」に触れるし、外でメシを食えば外食屋の、コンビニに行けばコンビニの「正義」に晒される。社会とは、多種多様なしょうもない「正義」に晒されて穢れることに他ならない。

休みの日には、出来るだけ電車にも乗りたくないし、出来るだけお金も使いたくない。地図の外へ、言葉の外へ、社会の外へ出て、やりたいように生きている。

こうした「脱社会」が毎日死ぬまで続く定年が待ち遠しい。社会に大した価値がある気もしない。平成の30年間とは、社会のくだらなさばかりが身にしみた時間だった。元号が変わったら、もう出来る限りこの朱子学カルト社会とは関わらずに、死人の書いた古典と市場という「弱いつながり」メインで生きていきたい。

いまの休日はそのための地ならしだと考えている。